乾いた茅を踏んで上がる、慶次はその軍勢を魍魎と見た。
真田の赤備えとは、聞いていたほど整然としたものではなかった。皆が皆、担いだ手槍
に朱を塗り、赤紐をつけして拵えたものを持っていた。鉢巻や胴巻きの印こそ皆揃いであ
ったけれども、その他はてんでばらばらに鎧甲冑を着込んでいた。どう見ても、備えが古
い。皆、新しく拵えずとも、父祖の鎧を持っている。
「戦馬鹿、ねえ……」
慶次は下していた髪を掻き上げた。
戦は心だ。知略謀略では動かないものがある。城の中からでは、大砲の煙の向こうから
では、見えぬものがある。それを知ればこそ、戦場の武者は未だ刀槍を尊ぶのだ。相手の
名も顔も知らぬうちに、人など殺すものではない。手応えもなく、耳を貫く轟音と遠くの
火柱だけでは、知らずその美しさにばかり心を奪われる。
戦は、遠くからでは輝いて見えるから。
そう言って叔父は慶次の頭をぐりぐりと撫でた。
髪が伸びたな、と思う。
いつの間にか肩も背も越えた。昔面影に見た人よりも長くなった。
「あーあ」
今戦場にいる。
あの頃のままなら、こんな乾いた野原に頬杖ついていることもなかった。あれが血涙の
向こうに何を見たのか、慶次には知れない。ただ時折、川の流れる尾張の土地をなつかし
く思った。風の度に揺れる葦原、やわらかい土。あの土地の豊かさを慶次は愛した。
来いと一度遣いが来たけれども、慶次には悲しくてかなしくて、とても彼らの隣にはお
られぬと思った。大阪になどゆかぬ。そう言いながら、同じ川の上に住んだ。それを下れ
ば、誰より速くそこへは行ける。
「行けるけれども……ねえ」
葦原生い茂るあの土地に、今はもう誰もいない。
叔父とて叔母とて、犀川を誉め、浅野川を眺めして暮らせども、やはりあの川をなつか
しく思うのだ。皆同じ尾張の川に生まれたのに、鴨川、淀川、浅野に犀川。違う水を吸い、
違う言葉を聞いて、わかれてゆく。
「前田慶次郎利益殿とお見受けする」
若武者が穂先で茅を払う。ぱっと一瞬火が散った。
「それがし武田方一将、真田源二郎幸村」
空はもう夕闇に近く、慶次はその色をすみれみたいだな、と思う。
すみれみたいだな、澄んでいてきれいだな。雲もなくってとてもいい。
ここでなければそんなことも言ってみるんだけど、と慶次は汗と泥とで汚れた髪を結い
上げる。もう逃がす者は逃がしてしまったし、見るべきものは見た。悉皆、もはやするべ
きことはない。ただ何となく、待ってしまっただけだ。
「――真田幸村」
鬼とも虎とも聞いていた。
二双の槍に赤備え。烏と霧と火と忍。戦姿はあの世の垣間見、赤く業火の夢の如くと。
その名にし負う信濃の若武者を見下ろして、ああ、小さいな、と慶次は思った。こんな
に小さくって細いのじゃあ、でかく育ち切る前に死んじゃうよ。
死んでしまって、いいのだろうか。
風が吹いて、茅の原が鳴る。乾いた葉の間に黒々と、魍魎のように古びた鎧の武者共が
潜む。刀槍の穂先が鈍く光り、紫の空に烏が舞う。辛いような酸いような匂いがして、血
を被ったままここまで来たのかと、顔を歪めた。
もう、どちらも哀れだ。
「そこをあけていただきたい」
頬に深い傷がある。痛くないの、それ。そう声を掛けて傷を塞いでやる方が、戦よりず
っといい。早くて簡単で、一番やさしいじゃないか。一番、やさしい。
「だめって言ったらどうするの」
関を塞ぐように、立ち上がる。
「突き通る」
慶次から目を離さぬまま、幸村は肩口で頬傷を拭った。痛そうで、思わず慶次は顔をし
かめる。それ見ろ、瘡蓋がめくれて、また新しい血がこぼれる。
「やめなって。手当てしなよ。怪我してんじゃん」
心底から言うのに、いつも何も伝わらない。
「手負いが恐ろしくば退け」
追い殺しはせぬ、とちりちりと光る目で、慶次よりもまだ奥を見る。
いやだ。
おれはその目を知っている。
「――なんだよ」
皆そんな先に、そんな奥に、一体何があると言うんだ。いやだ。遠くのものなんて、あ
んまり幽かで、はかなくって、消えそうで――いやだ。
大刀を担ぎ上げると、茅の間で魍魎共がざわめいた。
「通りたきゃ通って行けば? 通れるものなら、だけどさ!」
抜き放った太刀が光る。
月も星もない夕闇に、風が茅を乱して吹き荒ぶ。
茅の文、
20070818
触れれば手を切る血汐は赤く