いつか戦が変わるだろうと、槍と馬でなく、鉄砲と爆薬の戦場になるだろうと、軍師が
言った。それならば加賀の硝石がほしいか。鉄砲も堺か雑賀か国友か、人を取るなり攫う
なり、手許に置かねばならぬだろう。
戦は続く。
幸村は白く霧で埋まった谷間を見る。朝日が川を照らし、山がもうもうと白い霧を噴き
上げる。雲海というのだったか、と幸村は思う。
三本流れ込む川の全てが、昨日は赤く染まった。それを覆って、白く霧が満ちている。
酒も飲まずに城の壁際にいれば、槍が穂先からじっとりと重く冷えてゆくのがわかる。
古い山城だ。破れた壁の隙間から、杉の葉先が黒く揺れていた。
山城から見下ろす盆地は一面に霧が立ち込めて、恐ろしいほど静かだった。鳥も鳴かず、
虫もいない。連なる山の奥から夜の明けてゆくのを、幸村は見ていた。
何とはなしに槍が手放せず、柄を肩に置いたままでいた。
戦の間はあれだけ熱く軽いのに、一度下してしまえば、穂先は重く垂れ下がる。持て余
す、とすら思った。刀より厚く作った穂は、欠けぬ代わりに、時折急に錆付いて幸村を驚
かせた。一人目を斬り、二人目を斬り、はっ、と思った瞬間に、鋼に錆が走る。その鮮や
かさに息を呑んだまま、幸村は人を斬る。
戦から引き揚げる時に、茅の間に暗がりの溜まっているのを見た。
そんなに深い陰を作るような草ではない。
足先で払った時に、ぱっ、と赤いしぶきが散った。
血か、と何の気なしに思った。
「……血か」
どろどろと神鳴の音がする。その方に目をやって、山向こうの白光を見た。
裂ける天空。
天罰はまだ下らぬか。
喜びも悲しみもない。戦は続く。闇の中でも刃は光り、火は燃える。土が凍り、それを
踏み割る、馬の往く。霜の縁取るあの葉の名を知っている。けれども、今は思い出せない。
戦が済めば、終われば、そればかりを思って忘れてゆく。
もう何もないな、と、それだけを思った。
いつか、戦は変わる。槍と馬でなく、鉄砲と爆薬の戦場になるだろうと。そのどちらも、
甲斐には足りぬ。ならば次は、それを取る戦になるか。
霧の海は波も立てずに眠っている。冷えた槍を抱え直し、幸村は昨日の戦場を見下ろす。
戦に行きたくないと、誰が言えるものか。
将も兵も号令の一つで立ち上がる。それが軍だと幸村は思う。鞘を抜き払い、刃を向け
れば、その一つ一つが先鋒の切っ先。それを振るうから、まだ静かにいられる。合わせた
刃の焼ける、瞬間、そこだけが静か。
狂いたくはない。
夜が明けてゆく。朝が来る。穂先に降りた露が日に照らされる。
目を細めた。
東に見える、山の青さ。僅かに川の音が聴こえる。それは遠くからでなく、もたれかか
った壁からのようにも思った。
戦は終わった。黒々とした杉の葉も青く色を取り戻す。あの日見た落ち葉の名を思い出
さねばと、そればかりを思った。うつうつとまぶたの落ちるのを止められない。そう言え
ば、寒い、と投げ出したままだった脚を引き寄せる。けれども、それすらできずに、幸村
は土壁をずり落ちた。
朝日が透けて、まぶたの裏が明るい。光の当たっているのがわかる。何となく満足で、
このまま眠ってしまってもいいかと思った。自分の腕を枕にして丸くなる。手放せないま
まだった槍が、ぼんやりとあたたかかった。
少し笑う。
戦は済んだ。悪くはなかった。そう思う。悪くはなかった。
腕の中で、また川の音が聴こえる。
なんだ、と思いながら、幸村は眠る。知っているのに、思い出さずに眠ってしまう。目
覚めればまたわかるだろうか。この音を、知っているのに。
日は昇った。
曙光が天地を破り、朝を埋め尽くす。
「血潮の音、」
20071120
よき戦にしようぞ!