人の体を持っているだけだった。
 うまく話せなかったし、言われていることだって半分もわからなかった。
 自分たちの中身は畜獣と同じなのだと、そうかもしれないと思った。
 言葉で言われるよりも、ぶたれる方がよくわかった。
 上手くやれ。上手くやれ。
 必死に思うことはそれしかなかった。
 犬猫がそうであるように、人の目に怯えた。声に震えた。笞を持つ手が怖かった。まだ小さ
い。牛や馬とは比べるべくもない大きさの体を、同じようにぶたれた。こんなに痛いなんてう
そだと思った。
 ひどい。
 痛い。
 打たれる度に、体の中が真っ白になる。
 何にもない。
 自分の上げる悲鳴が、とても人の声だとは思えなかった。
 空っぽの体が叫んでる。
 ただそれだけ。
 強くもなれず、知恵もつかず、もう碌な一生が思いつかなかった。
 なんでこんな風に生まれたんだろうと思った。
 ずう、っと体の中に涌いてくる。
 魂の気配のない体の中に、心が育ち切らずに死んでいる。がらがらの腹に胸に、黒く涌く。
 死にたくない。
 もう何年かしか生きられないのに、知らなかった。
 自分が雄の子なのは知っていた。だから自分は男になるんだろうと思った。痩せてみっとも
ない男になるのだ。きっと、必死に取り繕っても、誰にも見向きもされない。
「息子」
 ただ、暗がりから息を詰めて外を見る。
 息子、とそう言うのを聞いた。
「おれの息子」
 人なんて、ただ雄と雌の区別しかなくて、男か、女か、ただ役目を振り分けられるためのも
のだと思っていた。
「おれの息子」
 息子。
 誰もいない。
 男に犯された女が自分を生んだ。
 父親はきっと自分が孕ませた女の顔も覚えていないだろう。孕んだこともきっと知らない。
母親も自分を犯した男の顔なんて覚えていないだろう。孕んだのが誰の子なのかもきっと知ら
ない。自分だって親の顔もわからない。わかってもらえない。
 一生会えない。
「息子」
 赤い髪を恥じた。光に透ける目を恥じた。肥らない体を、傷の走る肌を恥じた。指や、歯や、
人と違う声も、全部いやだった。人の体は、手に余る。
 犬の方がよかった。
 いっそ犬に生まれたかった。
 あたたかそうだし、かわいかったし、ずっと誰かと一緒にいるのは、しあわせそうだった。
 一生誰かにえさをもらう生活でいい。逃げたいなんて言わないし、やさしくしてくれるなら
絶対に逆らわない。誓ってもいい。噛みつかない。吠えないように喉を潰されたっていい。ど
うせ喜んでもらえるようなことなんてなんにも言えない。馬鹿がいやなら一生懸命賢くなる。
 どうせ生まれる前から捨てられてた。
 父親にとっては、自分は女が勝手に孕んだガキで、母親にとっては、男が無理矢理孕ませた
ガキだった。
 息子なんかじゃない。
 知ってた。
 誰もおれのことなんか大事じゃない。
 知ってた。
 知ってたけど。
「佐助」
 誰かのものになりたかった。



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日照りの沼、
20080917

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