いつか引き裂かれるのだとわかっていた。
妻は宝石だった。
硬く、澄んで、土の中にある。
それが浄土か穢土か、確かめるのは怖かった。
「市」
どちらであれ、長政には触れられない。長政のものではない。
王のものだった。
宝玉は幾つも並んで魔王を飾る。
長政は己を羞じた。
魔王の傍らに立つ、女は美しかった。苛烈なほど匂い立つ。赤々とその目に映える。炎の花。
美しいと思った。けれども長政は、彼女の顔を覚えていない。少女を見ていた。彼らの後ろに
うつむく、少女を見ていた。
「長政」
美しい女だと聞いていた。
濃姫という。その名も姿も、噂に聞いていた。髪がいい、肌がいい。笑う時の息、一瞬の気
配が天女のようだ。美しい。
ふうん、と思った。
興味などない。
知らぬ。
長政が欲しいのは、余呉だった。長浜だった。伊吹、虎姫、竹生島。姉川の流れる限り、こ
の目に見える限り、長政の守らねばならぬものはただそれだけだった。
人は死ぬ。花は枯れる。全て滅びる。
だから長政は守らねばならない。
己は、生涯この小谷の城にしがみついて生きるだろうと、長政はわかっている。
猿夜叉丸と呼ばれた。
長政は、幼い頃から教えられた。
「英雄でなくともよい」
魔性、畜生、人を守るのに何の不足がある。どうでもよい。何でもよい。誰が何を助けるか。
何が誰を守ったのか。何でもよい。どうでもよい。
ただ正しかれ。
「猿夜叉丸」
ながらくをその名で過ごし、ようやく人の名を得たのは十五を過ぎていた。
長政は正義を信じる。
それだけ信じた。
「長政」
宝石を転がしながら、王が笑った。
「欲しいか」
己は何と答えたのだったか。
長政は羞じる。もはや羞恥でしかない。羞じた。
あの少女が欲しい。
血が上った。
跪いた石造りの床に、己が映る。
あれが欲しい。
あの少女が欲しい。
血が上る。
欲しい。欲しい欲しいと思った。欲しい。あの少女が欲しい。
「市」
何を猛っているのか。何をそんなに欲しいと狂うことがあるのか。なぜともどれともいつま
でとも思わなかった。考えなかった。欲しい。
初めて思った。
切り裂きたい。爪を立てて牙を見せる。怖いと怯える、その首許に聞きたかった。
「私は強いか」
頷いて欲しい。抱いて欲しい。縋って言って欲しい。
「長政様が好き」
突き出された少女は、冷たい床に膝をついた。
「つかわす」
怒れ。
たしかに、長政の腹の中、浅いところは憤激した。憤激していた。けれども、長政はよろこ
んだ。心の底から歓喜した。もらえる。そう思った。貰える。この少女が貰える。
掴みたい。もう触りたいなどと思わなかった。爪を立てる。引き寄せる。腕、首、肩、腰、
肌の全て、隈なく牙を立てて傷付けたい。泣けばいい。その顔が見たい。触れたい。
「市」
慰めたい。やさしくしたい。なんてかわいそう。震える。ぞっとする。堪らなく思う。欲し
い。そう思う。この少女が欲しい。
髪の影が動いた。
「長政、さま……?」
髪、唇、瞳、濡れている。
魂を奪られた。
光の穴、
20081128
ながまささまもうそう in 近江