武に長け、文に秀で、雅を好み、色を愛し、世間の話を聞くところによると、良い男という
のはなかなか忙しいらしい。
「なるほどな」
 奥州からの文を放り投げて、幸村は畳の上を転がった。一体これは何時代の文だ。幸村には
政宗が引いて寄越した和歌の意味がわからない。
「おれはひまだ……」
 荒炭を放り込んだ火鉢に頬を寄せる。
 だいたい雪が降ってしまえば信濃はひまだ。雪など食うわけにもいかず、売れるわけもなし、
することと言えばせいぜいが家をぬくめて屋根が落ちぬようにするだけだ。掻いても掻いても
雪は積もる。それもままならぬ家は、近くの男を借りて雪掻きを頼む。
 老親に若い娘、色めいた後家に年増、そんな家にでも当たれば、色艶の話も生まれてなかな
か楽しいらしいとは聞くが、幸村にはどうも縁がない。そもそもそんな縁などあっても困るが、
幸村だって役に立つ。なのに雪は積もる一方だというのに、あんまり誰にも呼ばれぬので、佐
助に怒った。
「よもや、おれが雪掻きもできぬ男だと思われているのではないだろうな!」
「ええー」
 自分のあんこ汁を守りながら、佐助が微妙な顔をした。
「別にそういうわけじゃないけどさ……。なんかやっぱ暗黙の了解的なのがあるじゃん?」
「おれだって役に立つ!」
「そんな雪掻きにだけ役に立たれてもさあ……」
「何を言う!」
 空にした椀を床に置く。
「おれは雪掻きに行くのだ! 雪掻きの役に立てば立派に用は立つ!」
「ええー」
 佐助は面倒そうに餅を噛んだ。
「そんなら好きにすればいいけどさあ」
「よし!」
 膝を叩いて幸村は円座を立った。
「それならばさっそく門の辺りにでも札を張ってくる! この大雪だ。さぞ皆難儀しているこ
とであろう。見ておれ、この真田源二郎幸村、立派に上田中の雪を落としてみせる!」
「ちょ、ちょ、待って待って待って」
 忍のくせにむせたらしい。佐助は咳き込みながら、必死に幸村の袖を掴んだ。
「だめだめだめ。絶対だめ」
 だめ、とひとしきりむせ込んだ後、忍は、はあ、とため息をついた。
「離さぬか」
「もー、ばか」
 払った袖を逆に引っ張られて、幸村はあっさり元の炉端に戻った。
「あんたさー……、男が自分から雪掻きするよって触れ回るってそれさあ……」
 はあ、とため息ばかりを繰り返す。
「なんだ。はっきり言え」
「言えっていうかさあ……」
 はあ、と箸を咥えたまま、佐助は微妙な顔で幸村を見た。
「やっぱいいわ……」
「ならば行く」
「わあああ」
 器用に椀を持ったまま追いすがる。幸村は中身を掛けられるのではないかと身構えた。
「旦那、あのさ」
「……なんだ」
 幸村の袖にぶら下がったまま、佐助は常になく真摯な様子で幸村を見上げている。
「早く言え」
 日が暮れてしまってはせっかくの知らせ書きもよく見えぬ。
「別に、あんたがどうなろうとおれさま的にはおもしろくていいんだけど」
 座れと幸村に円座を差し出して、佐助が幸村に顔を寄せる。あのね、と言い聞かせるように
耳許で話す。幸村の耳に掛かる髪を払う時、指先が触れて、少しこそばかった。
「基本的にね、この場合ね、私ん家女ばっかりで雪掻きできないわっていうのはね、建前なの」
「建前?」
「そりゃほんとに女所帯んとこもあるかもしんないけど、そういうとこは雪掻きしてやろうか
とかいう得体の知れないのは呼ばないの」
「得体なら知れておるぞ」
「だからああ」
「耳許で大きな声を出すな」
 うるさい、とでこを突き放すと、細い眉が手のひらでわかるほど、しわを作った。
「あ、おれさませっかく親切に教えたげてんのに、旦那そういうことするわけ」
「話が長いのだ」
「んだよ。おれさまわざわざ婉曲に言ったげてんじゃん。朴念仁。アホ」
「誰が朴念仁だ」
「あんただよ」
 あからさまにいやな顔をされて、むかっとした。
「この! しつけ直してやる!」
「いらねーよ! おれさままでもてなくなる!」
「主よりもてるな!」
「おれのせいじゃねえよ!」
「生意気だぞ!」
「あんたがもてねえのはおれのせいじゃねえし!」
「なにをう」
 ころころと絡まって床を転がる。
「おれだって、たぶん、もてるっ」
 佐助が、ぴたりと止まった。
「そうね。今はなんかちんちくりんでもね。あんた父ちゃんも兄ちゃんも男前だしね。しばら
く我慢したらいい男になるかもしんないしね」
「……何が言いたい」
「べっつに」
 馬乗りになった主を膝で蹴る。腕を押さえると、うなり声を上げて八重歯になった犬歯を見
せた。ぎゅっと唇を押さえる。佐助は、ううと幸村を睨んだ。
「おれは妙齢のご婦人と見るや襲いかかるようなけだものではないぞ!」
 でも、と幸村の手のひらで佐助の唇が動いた。
「おっぱい大っきかったらちょっと考えるでしょ」
 思わず、ちょっと考えた。
「破廉恥でござるぞ!」
「おれさま、あんたがおっぱい好きなの知ってるもん。おれはしり派だけど」
「佐助っ」
 ひょいっと忍らしい素早さで幸村の腕を掴む。
「だからあ、要はそういうことなんだって。あんたこの辺で何で春に嫁入りが多いか知ってる?
あんたみたいなのいいカモに決まってんじゃん。ちょう玉の輿」
「上田の女はそんなふしだらではない!」
「いやあ、ふしだらっていうか、そういうもんていうかさ……」
 ころんと幸村を横に転がして、佐助は妙に情けない顔をした。
「なんか……あんたの方が食われちゃいそう」
 なんとなく、じっと見つめ合った。
「……旦那、汗かいてる場合じゃねえよ」
 な、と佐助の手が幸村の髪を掻き上げる。そのまま爪を立てて乱暴に引き寄せた。
「旦那、まだお役に立ちに行きたい?」
 黙って首を振った。
「ま、またにする……」
 ごつごつと床に頭蓋の当たる音がする。
「あっそ」
 佐助は表情の読めぬ顔で幸村を見て、目を細めた。
「あんた、調子乗ってあんまりてきとうに子種蒔いてきたら殺すからね」
 それは、己か女か子供か、とりあえず痛い目には遭わされそうで、幸村は縮み上がった。
「寒い……」
 そんなわけで、幸村はひまである。
 政宗のように歌を詠むでなし、舞って喜ぶたちでなし、忍を呼んで花札をしても、常の通り
すぐにいかさまの応酬でけんかになるのが目に見えている。佐助なら囲碁もできるが、へたく
そ同士で眠くなる。
 冬はおもしろくない。
 ごろごろと障子のそばまで部屋を転がる。
 することがない。
 こんなことなら朝からふとんを片付けるのではなかったと幸村は心底後悔した。寒い。何か
抱えるものがほしい。ぬくいような、あたたかいような、何か息をしているものがいい。
 薄く開けた障子の隙間から雪の庭が見える。
「なるほど」
 ほっと白い息を吐きながら、これが人肌恋しいなどというものか、とひとつ大人になったよ
うな気持ちでまるくなった。



 ふと気づいたら、腹に何か抱き込んでいた。
 そう言えば眠る前に、ねこが飼いたいと思っていたのだった。犬では屋敷に上げられぬ。こ
んな寒い中外に出しておくのはかわいそうだ。なら、ねこがいい。そうか。幸村は、そうか、
ねこか、と妙に納得して、夢うつつでそれの触り心地のいいところを探した。
 どこにもない。
「……おい」
 目が覚めたら、幸村が抱いていたのは忍だった。
「佐助……、おまえ……」
 匂いでわかった。
 何をしている、と幸村の綿入れにくっついてぬくまったむくげを引き剥がす。
「ぷあ」
 半目で寝ていた忍は、口の端からよだれを垂らしていた。
「おまえ……、油断大敵という言葉を知っているか?」
「あんまり」
 寝ていた時の表情のまま目だけ開けて、佐助はきょろりと幸村を見た。
「おはよう」
 気持ち悪い。
「顔を拭け顔を」
「んー」
 掴んでいた手を離すと、佐助はそのまま床に落ちた。人形でもあるまいし、さすがに痛かろ
うと思って見ていると、二三拍遅れて、痛いとうめいた。
「旦那ひどい」
「寄るな、ばか」
「んだよ、さっきまで人の頭まさぐって遊んでたくせに」
「こんなところにおまえがいると思わぬではないか!」
「……うんじゃあなんだと思ってたのさ」
 くしゃくしゃと顔をこする。それでようやく己がよだれを垂らしていたのに気づいたらしく、
今さらのように、きたね、と袖口で拭いた。
「……おまえこそ気づいていたなら起きればいいではないか」
 腹を蹴ろうとしたのを、膝で止められた。
「いやー、なんかふわふわしてもらってんの気持ちいいなー、と思って」
 夢見てたから、と佐助は鼻筋の刺青をこする。
「あー、おれさまちょっと雪掻きしますって看板出して来よっかな……」
「なにっ」
「はいはい、破廉恥破廉恥」
「ばかにするなっ」
 おまえが言うと腹が立つのだ、と幸村は正直な気持ちで怒った。
「なんだよー。おれさまが男前だからって嫉妬とか見苦しいぜ、旦那」
「違うわっ。おまえが男前ならお館様など大黒天にも勝る天下一の男前だ!」
「大黒さまに勝ってもうれしくねえよ……」
「思い知ったか!」
「いやいや、えびすさんて……。あんたせめて比較にすんなら次から帝釈天くらいにしときな
さいね……」
「あれは顔が怖すぎる!」
「あっそ……」
 外は風が強くなってきたらしい。締め切った障子がかたかたと揺れる。朝に入れた炭もずい
ぶん減って白くなっている。なんとなく足先が冷えて、幸村は綿入れをかぶったまま畳の上を
芋虫のように這った。
「どこ行くのー?」
 佐助も幸村の後を追う。
「炭を足すだけだ」
「あっそ」
 さすが忍らしく、影が滑るように幸村の横に付く。二の腕にふかっと綿の感触がした。
「おまえほんとうに何をしにきたのだ」
「んー、なんだっけ」
 よく見ると佐助が着ているのは幸村の半纏だ。主の部屋に勝手に忍び込んだ挙げ句、脱ぎっ
ぱなしにしていたのを引っ張ってきたらしい。そういえば、たまにないなと思っていた帯だの
なんだの、気がつくと佐助が締めていたりする。今も幸村は佐助の厚足袋に見覚えがあった。
「おれのではないか!」
「あー、これー? ぬくいよねー」
「いつの間に! どこで取ってきたのだ!」
「えー、洗濯干し場」
 道理で佐助が着物を畳んでいるのを見たことがないはずだ。
「おまえろくろく着物も買わずに一体何に給料を遣っているのだ」
「道楽」
 あっさり言う忍の懐から、ころころと白餅が転がり出た。
「そういやおれさまお餅持ってけって言われてきたんでした」
 はい、と拾って差し出す餅に、埃がついている。
「棚から出てきたんだってよ。焼こうぜー。腹減った」
 ひっくり返した裏側に青い黴が生えている。
「なんだこれ、汚れてんなー」
 幸村の見ている前で、佐助は火鉢の端っこで餅を削り始めた。
「ほい、きれいになったー」
 蝋かなにかのように、薄く削れた餅が灰の上に落ちる。佐助はそれがちょっとふくれるのを
待って、ひょいっと口に放り込んだ。
「さっ、佐助ええええええ」
 思わず、突っ込まざるを得なかった。
「かっ、かびっ!」
 佐助の顔を押さえつける。
「吐けええ、吐き出せっばかっ、吐けっ!」
「ええ、なんでえ?」
 青くなって立ち上がる主を前に、忍は不満そうな顔で、押さえつける指を噛んだ。




冬ぬくし、
20091213
きぶくれぬくぬくころころ


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