三度目の敗戦だった。
三遍くらいなんだ、と奥州王なら言うだろう。あれは無数に負けて、その全てを取り戻
す男だ。あれは人より遥か上の竜。なら、自分は人の下の修羅。
大坂で負けた。
幸村は山で育った男だったから、自分が逃げ延びた先が海だったというのが、不思議だ
った。海の戦はしたことがない。
船を、と忍はうわごとのように言った。
「船をとって――水道を越えて、そしたら山が見えるから」
そこから上がって、と言う。
尾鷲へ。
じきに死ぬのだ、と思った。
傷を負ってから、佐助はもう何日も眠っていない。いつもぼんやりと覚醒していて、次
の風は帆に受けてはいけないとか、転がった傷病者を指差して、そこはそいつとこいつし
か生き残らないから、他には薬を回さなくていいだとか、恐ろしいようなことを言う。そ
して、言葉通りに、朝には佐助が指さなかった者は皆死んでいた。
幸村は今でも後悔している。
岸に上がった時には、佐助はもうほとんど口を利かなかった。目を濡らして、ぐずぐず
と泣いているような顔をした。
痛いとも苦しいとも言わないから、幸村はおのれの忍にとどめはやらなかった。
船はむくろを積んで、沖に流れていった。
普陀落へいくよ、と忍は小さく言った。
彼らに引導を渡したのは、幸村だったから、それは何となく、救いのような気がした。
早く沈め、と祈りのように思った。放った火が帆柱を焼いて流れてゆく。
幸村は今でも後悔している。
佐助は、幸村がその体を船から下すのを拒まなかった。ただ、その目がぼんやりと流れ
てゆく船を見た。もう動けない手で、足で、主人に抱えられて、忍は波に呟いた。
「あんたには、あと一回あるよ、旦那」
そうして、南から越えてゆく峠で、忍は息が尽きた。
月も星もない夜で、そばについていた幸村にさえ、死ぬ、と言わなかった。
寝かされた形に目をつぶったまま、静かに息が尽きた。
幸村のすぐそばで、黙って死んだ。
薄く唇を開けたまま、息をしなくなった忍は、傷付いたその手に、すがるように幸村の
後ろ髪を掴んでいた。
そうだ、と幸村は思う。この忍は、地獄をひどく怖がっていた。
父も母も、子も、兄弟もいない。人を獣を、殺すだけ殺して、死ねばこの忍は無縁にな
る。花も水も届かない地獄にいくのを、この忍は怖がった。
「死んじゃってかわいそうにって拝んでくれる人がいないとさあ、地獄って怪我治らない
んだって。毎日針山に落とされたり、火あぶりにされたりするのにさあ、毎日ぼろぼろに
なったまま何万回も繰り返すんだって」
永遠にだよ、と忍は真剣な顔をした。
幸村には、そんなものがあるとは思えなかったから、ばかを言うなと軽く言えた。
それでも、やだな、やだな、と妙な怖がり方をする忍に、幸村は嘆息した。
「ならおまえ、三途の川で待っておけ」
よく考えてみれば、自分も忍も、どうも地獄へ落ちるような気はした。
「後からいったら、おれが横でちゃんと言ってやる」
だからおれが来たらおまえも言え、と言うと、忍は名案を聞いたとでも言うように無邪
気によろこんだ。
「――かわいそうに」
根元から、ぶつりと髪を切った。
それを握ったまま、忍の体は始末された。
最後に見た忍は、幸村が前髪を半分切ったせいで、少し幼く見えた。
今も、同じ槍を振るっている。
もう勝つことはない。四遍目の敗戦で、どうも自分は死ぬらしい。
また同じ大坂だった。
小高い山に陣を構えてはみたものの、山も海も遠かった。これはまた、本当に戦場のど
真ん中で死ぬようだ。人の命が鬼火のように光る。
自分の前にも後にも、同じ軍旗の下に連れ立って死ぬ者がいる。
日の本一のつわものの、誇れる名がほしいと思った。
せめて泉下の行く手を照らす紅蓮たれ。
火の消えた荒涼とした河原に、幸村の忍がひとり、立っている。
なんだ案外明るいな、と上を見れば、無数の星が光っていた。
河原にはちす花あれば、
20070722
20070723 改題