「野分だあ」
わあっという声が聞こえてきて、幸村は首を伸ばして、縁側から空を見た。
晴れている。
「ええ、ほんとうかい」
「あら、野分なの。嵐なの」
洗濯の竿を入れなくちゃ、とにわかに家中から人が出て来て、庭を横切ってゆく。
「……晴れているぞ」、
庭では柿の葉がぱたぱた風に揺れていて、さっきまで向かっていた巻紙も墨もよく乾いて、
まだ雨の気配はない。どだい空もよく晴れて雲ひとつない。明日は遠乗りに行くと言っていた
のに、と部屋の隅を見ると、佐助がねむたそうに目を擦っていた。
「あー……、台風来んのね……」
「晴れている」
「あー……、うん」
来るよ、とぼうっとした顔のまま、佐助は額に手をやった。
「なんか……でこ痛え……」
「おまえ襖に顔を押しつけて寝るな。そんなおかしな寝方をするからうなされるのだ」
「あー、えー、おれさまうなされてた?」
「犬の子でもなし、うなるな。うるさい」
「えー、旦那うるさいとかひでえ」
「襖は破るなよ」
「はいはい……」
佐助は桟の形に跡のついた額をなでながら、文机の方へにじり寄った。
「なに書いてんの? お手紙出すなら明日の方がいいよ」
「別に急ぎのものではない。そもそも別に出さずとも構わん。直接顔を出せばいい話だ」
「あっそ。ならいいけど。おれさま雨ん中おつかいすんのいやだし」
なぜか佐助は幸村の字が読みづらいらしい。いつも覗き込んでくる時は、眉根を寄せて難し
いものでも見るような顔をしている。
「なに? 着物? なんか買うの?」
「寄るな、墨が付く」
「いいじゃん別に。なに書いてあんの。読んでよ」
ぐいぐいと主を押しのけて、忍は巻紙の字を辿った。
「あー、なに? 寒いの? 冬支度? どっか行くの? なにこれここ読めねえよ」
「読めるわ! 人の字が汚いように言うな」
「これ人の顔っぽい」
潰れた心の字をちょんちょんとつついて、佐助はふわあっとあくびをした。
「旦那、台風だって」
肘で押し返すと、佐助は不足そうな顔で鼻を鳴らした。
「来ぬだろう。空は晴れているぞ」
「でもさっき野分来るって声してたじゃん。あれ当たるよ」
むうっと幸村はもたれかかった忍を睨む。
「……明日は遠乗りに行くと言っていたではないか」
「そうは言っても嵐じゃーねー」
佐助はぼりぼりと腹を掻く。
「お馬さんかわいそうじゃん」
ね、と立ち上がり際、佐助は幸村の髪に手を置いた。くしゃくしゃっと耳の辺りをくすぐる
ような動きをして、ふふ、と満足そうに目を細める。
「大人しくしてな?」
ちゅっ、と唇を鳴らして縁側へ出て行く。
「ねーねー、お馬さんさー、夜の間、中の厩に入れたげてもいいー?」
乾いた足音が廊下を抜けて、わいわいと騒がしさを増す輪の中へ消えてゆく。
きゅうん、と遠くでとんびが鳴いた。秋の庭を風が渡ってゆく。萩の花がちらちらと揺れる
のを見ながら、幸村はようやく持ち上がったままの髪を押さえた。
くちびるすこし、
20120930
花より赤く、風より静か