飯を炊けば、最初の一膳は神に出す。次を親によそい、子によそい、自分と兄弟で食う。
残った飯粒を貧者にやり、家畜に配り、最後に釜を洗った水が残る。
 その水がほしかった。

 空腹だ。
 飢えている。
 気が狂うほど渇いていて、もう堪えられそうにない。
 死ねばまた餓鬼道に落とされる。地獄は、怖い。何もない。誰もいない。死にもしない
のに、飢えるかつえる。苦しみもがく。そうして自分の腕を食い、足を食い、舌を呑んで、
また飢える。消えてしまいそうなほど飢えているのに、血と涙だけは、果てもなく流れ出
した。ごめんなさいと何が悪いのかもわからず許しを請うて、ごめんなさいごめんなさい
と繰り返し、罰を受ける。肉を食い千切った口から牙が生え、裂いた手足に鱗が生える。
だれか。たすけて。悲鳴を上げても、喉はひいひいと鳥のような声で鳴く。
 そして、思い出す。
 あの水が欲しかった。

 ふっ、と息が戻った。
 死んでいた。今自分は死んでいた。
 硬直したまま瞬きをする。心臓がおかしな形で動いている。止まる止まる、また、死ぬ。
 あ、と恐怖で引き攣った。
「佐助!」
 悲鳴のように、血が流れた。
 視界が開ける。
 光。
「さすけ!」
 叩きつける強さで、名を呼ばれた。
「佐助! 佐助! しっかりしろ! わかるか!」
 旦那だ、と思う。
 主人が自分を呼んでいる。
「こちらを見ろ!」
 佐助、とその声で耳が焼けてもいいと思った。
「――だんな」
 仰向けに投げ出された体は、まだ両手に武器を握っていた。寒いのかあついのかわから
ない。どこに傷を負ったのかもわからないのに、薄く鍛えた鋼が、きりきりと音を立てて
指に食い込んでいるのがわかる。離せない。
 どうしよ、と佐助は主の顔を探す。
「動けないよ、おれ……」
「あたりまえだ、馬鹿者!」
「ばかもの……」
 近くにいた、と佐助は感動した。
 この人が、いた。

 一度は心臓を止めて、呼吸すら絶えた。
 それが戻ってきてポロポロと、よかった、だんなだ、よかったこわかった、と朦朧とし
た目のままで自分を呼ばわって泣くから、幸村は自分の忍を心底いとおしいと思った。
「――よくやった」
 頭を抱いてやると、にわかに涙が出た。
「さすがおれの忍だ」
 小さな頭が幸村の胸に押し付けられる。首筋が静かに総毛立ったのがわかった。
「佐助」
 苦しいのか、と腕を緩めてやると、佐助は幸村を見て、満足そうに目を細めた。
 そのまま、なんだ、と思う間もなく、ひび割れた唇を寄せてきて、かわいた舌で幸村の
目玉を舐める。
 こくりと小さく喉を鳴らし、
「……アア」
 歓びのような声を上げて、それきり忍は目を閉じた。




最下の命、

一滴の餓鬼水、地獄では七万にもなり
20070629


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