小さい頃、佐助はおかしなものを食べる、と思っていた。
 しかも、隠れて食べる。

「うまいのか」
 どうせ幸村にみつかるくらいだから、本気で隠れてなどいないくせに、みつけた幸村が
そう聞けば、食べるのをやめる。
「うまいのか」
「別に」
 今も火の消えた焚き火の跡で、佐助は炭になった細い柴木をかじっていた。
 手を出す。
「おれにも一度寄越せ」
「だめだってば」
 忍はほんとうにいやそうな顔をする。眉が薄いものだから、眉間に少ししわを寄せるだ
けで目立つ。
「ほんの少しでいいのだ」
「やだ」
 二人は少しの間、にらみ合った。
「寄越せ」
「やだ」
 案外この忍は頑固だ。そして気が短い。
「あんたこんなとこまで何しに来たの」
 しゃがんだままで、主をにらむ。長く一緒にいた。幸村は実は佐助が割合癇の強い性格
だと知っている。最近はそう怒らせることもなくなっていたのだが、今の佐助は明らかに
苛立っている。けれども、幸村はその視線を受けて平然としていた。
「早く屋敷に帰りなよ」
 佐助が灰のついた手を着物の袖で拭った。佐助の手は、左右で少し形が違う。知ってい
る、と幸村は思う。
「旦那」
 佐助の手は、右の人差し指が他に重なるようになっている。
 忍隊の中にも何人かそういう手をした者がいて、彼らは皆戦忍だった。刀を握っておれ
ばそのようにはならぬものを、とその時に思った。
 忍の暗器は重い。それに投げる時にこつがいる。一瞬、一箇所、一点だけに力をかける。
投げるというよりは、振る、というのに近い。特に甲賀者はその技が得意だったから、時に
は一本のくないで具足の人間を貫く、というようなこともしてみせる。
 幸村が投げても木の幹に刺さりもせぬのに、佐助が投げるとあっさり分厚い皮も貫き
通す。幼い頃、幸村が、すごい、と言うと、佐助は、うん、と頷いて、おれの技、いつか
弁丸様の役に立つよ、と言った。
 幸村は黙ったまま、ぱちりと指を鳴らす。
 一瞬遅れて、佐助が幸村の手許を見た。
「佐助」
 忍が口を利くより早く、幸村が低い声を出した。
「今、指を鳴らしたのが聞こえたか」
「聞こえた」
 忍は速く嘘をつく。どうやって覚えるのか知らないが、皆そういうことができる。反射
のように嘘をつく。それでも、幸村に嘘をつく時だけ、この忍の目は、僅かに光る。
「馬鹿め」
 ため息と一緒に座り込む。佐助が仏頂面で半歩、後ろに下がった。どうせこんなに近く
では口元が見えないからだろう、と幸村は思う。
「佐助、おまえ下手を打ったな」
 そう思って見れば、いつも飄々としている忍の顔も、幾分情けないように見えるから不
思議だ。
「なあ?」
 炭のかけらを足下に投げかければ、佐助は、気付かれなかったと思ったのに、とぼそぼ
そと言った。近くに寄れば、口の端が爛れているのがわかる。息も少し臭う。
「ちょっと、囲まれちゃって。めんどくさいから逃げようと思ったんだけど、運の悪いこ
とにそこ赤松ばっかでさ」
 ああ、と幸村は頷いた。松林と竹林は逃げる先に向かない、と教えられたのは、随分昔
のことのように思う。万一敗走することがあったら、必ず暗い林の方に逃げなさい、杉や
檜の林の方が下生えに隠れて逃れやすい。言った当人の方が明るい松林に逃げ込んだとは、
どうにもしまらない話だ。けれども、あの土地一体は低い山が多く、立ち木の大半は松や
背の低い楢だ。仕方もない。
「しかも上から毒吹かれちゃって。ちょっと深く吸いすぎちゃった」
 こんこんと自分のこめかみを叩く。耳にきた、と佐助は何でもないように言った。
「ちょっとぼーっとする、耳……」
 でも治る、と佐助は炭を持った手で口を隠す。
「そんなに追われたのか」
 幸村が聞くと、だって向こうの大将首持ってたじゃん、おれ、と忍は唇で笑う。その首
は幸村が獲ったものだった。一直線に本陣まで届けよと言いつけたのも幸村だ。
 みすみす毒とわかっていて、それでも吸わねばならぬほど暴れたのだ。さぞ戦ったのだ
ろうと思う。
「どのくらいで戻るのだ」
 自分の声の低いのに、幸村は驚く。
 くるっと目を回して、みっかくらい、と佐助は指を出した。また少し目が光る。幸村は
鼻を鳴らした。
 佐助は上手く口の中を見せないように話しているが、僅かに見える唇の裏が恐ろしいほ
ど赤い。爛れているどころか、おそらく口の中に皮がないのだ。剥けてしまっている。
 ごめんね、と唇で言いながら、佐助は灰の中に黒ずんだ血の塊を吐いた。そのまま上か
ら灰をかぶせる。臭いがするのを気にしているのだ。
「あほうめ」
 膝の上でうなる。幸村の唇を追い損ねて、もういっかい、と忍は指先で地面を叩いた。
爪の短い指だ。
「あほうめ」
 顔を見て言うと、佐助は顔をしかめた。喉が痛むのか、少し咳く。
「何の毒だったのだ」
 さあ、と忍が肩を竦めるのを、幸村はうそだな、と思う。
一吸いで口内が爛れるほどの毒、佐助が知らないはずがない。
自分に効かない毒を知っているということは、同時に効くものも知っているということ
だ。いくら忍でも、すべての毒や薬に体を合わせることはできない。何にでも相性はある
からね、と佐助は幸村に教えた。それを自分で知ることが大事なのだと、忍は大人のよう
な顔で言った。佐助が弱ると、何となく、そういうことばかり思い出す。
 当の忍は、炭を摘まんだまま、俯いてけんけんと咳いている。
「もうよい」
そう言えば随分鼻血も流していたな、と幸村は屈んだまま、冷えた炭を拾った。
どうせ匂いもわからなくなっているのだろう。佐助の目が潰れなかったのは幸いだ。
目にくる毒でなくてよかった。それに、もしもっと深く吸い込んでいれば、この忍は、
肺まで爛れて、自分の血で溺れ死んでいたかもしれない。
忍の死に様は、醜い。
そう言ったのは佐助だった。
「ほんとは猫みたいにどっかでこっそり死ぬのが理想なんだけど。そうもいかないでしょ
実際。特に戦場なんて、走って走って走っていきなり内臓破れて死んじゃったり、ここま
で、と思ったらとっさに毒呑んだりとかするわけだし。自害だって腹切らないからね。ま
ずしゃべらないように自分の首切るから、骨はずれちゃって頭逆さとかになってんの。口
から腹まで切り下げる奴もいるし。割とびっくりするよ、戦忍の死に方」
 ほんとわけわかんないところで死んでるんだもん、と佐助は笑った。
 少し、腹が冷えた。
 佐助の咳を聞きながら、幸村は済んだ戦を思い出す。




舌を焼いた、
習作20070117
20070618


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