先月、佐助が携帯にストラップを付けているのに気が付いた。
「めずらしい」
見せろ、と手を伸ばした。
「やだ」
その手を払いのけられた。
「旦那には見せない」
そのままジーンズのポケットに捩じ込んでしまう。
「ひみつなの」
切ったばかりの赤毛を机に載せて、佐助は、ふふ、と笑う。
「もらっちゃった」
そう言う気配だけうれしそうで、幸村はひとり黒板を眺めて、なんだそれは、と思った。
妙ににこにこしている。
かと思うと、携帯を眺めて学食で黄昏れている。
「電話でも待っているのか」
聞いてみると、ううん、と言う。
「どうせ来ないもん」
首だけ上げてプラスチックのお茶を飲む。
「でもちょっと掛かってきたらうれしいなーって思う」
器用にコップを傾けて中身を飲む。
「なら部室にでも行ったらどうだ。ここは電波が悪いだろう」
「いいよ別に――あ」
からん、とコップが倒れた。
「――こぼれちゃった」
曲芸のようなことをするからだ、と言いかけて、佐助の目線が携帯を見ているのに気付
く。午後四時半。
「ぞうきん取ってこなきゃ……」
思い出したように倒れたままのコップに手を伸ばす。
何となくせつなくなって、幸村は席を立った。
「取ってきてやる」
待っていろ、と背を向けた。
テーブルの上のストラップは、きれいな色をしていて、幼なじみにもらったのだと、自
慢のように佐助が言った。
「どうせ電話来ないもん」
時間は過ぎる。
うれしそうな時ばかり、ひみつ、と言う。
「へへ」
佐助は、目の前にストラップを掲げながら、幸村のソファに寝転がっている。
「こうして見たらちょうきれい」
窓からの光を集めて、きらきらと光る。
「へへ」
電話は来たのか、と聞けないまま、幸村は佐助にソファを貸してやる。
「すごいきれい」
パイプ椅子に腰掛けて雑誌を開く。
「旦那、おみやげ買ってきたげるよ」
そう言う割に、どこへ行くのかは言わないのだ。
「何がいい? 何がいい?」
背を向けて座った幸村の袖を引っ張って、佐助は聞く。
「別にいらん」
「ええ」
「単に遊びに行くだけだろう。みやげのいるような距離でもあるまいし」
「いいじゃん、おれさま買って来たげるって言ってんだしさあ」
少しふくれたふりで幸村を蹴る。
あんね、と携帯を握りしめてささやく。
「おれ、すっげえ楽しみ」
どうしよう、とソファで暴れる。
ばか、と思った。
次に会った日は、晴れだった。
「旦那」
なのに真っ暗な顔で幸村の前にしゃがみ込んでいるので、思わず窓の外を見た。
「どうしよう」
青空なのに、泣きそうな顔をする。
「旦那あ」
もたれかかる肩に、佐助の額の熱さが伝わる。
「きらいって」
言われちゃった、と、同じくらいの背丈の体が幸村を頼る。
「どうしよ」
廊下のガラス越しに空を見る。まぶたの裏に、きらきらと揺れていた、あの光を思い出す。
その日から佐助は風邪を引いた。
「……んだよ」
そしてそれをからかった政宗に、文字通り、噛みついた。
「佐助……?」
狭いボックスの中で、一人は鼻血を流していて、もう一人は端でうずくまって、傷つい
ていた。
「政宗殿……?」
両手に抱えたプリンとコーヒーと、足でドアを開けたまま、幸村は薄っぺらな表情で政
宗を見た。誰も椅子に座っていない。政宗は壁にもたれて歯形のついた手のひらを見
ている。佐助は床にしゃがみ込んで顔も上げない。
ソファは空だった。
「――旦那」
熱で嗄れた声が幸村を呼ぶ。
「その人さあ、鼻血出してるからさあ、ティッシュペーパーとかあげてくんない」
ごめんだけど、と膝を抱えた体の上に、カーテンの影が揺れる。
「うっせえ」
靴のソールが椅子を蹴る。
「政宗殿」
赤くなった袖に目を細める。
こん、こん、と机にものを置く音が、妙に響いた。
「おい」
出て行こうとした時、呼び止められた。
「何か冷てえの買って来い」
五百円玉を受け止める。
「頭打ってんだよそいつ」
ず、と鼻をすする仕草で佐助を指す。
「うるさい、ばか」
ばか、とうつむいたまま佐助が呻いた。
政宗が無言でジャケットを投げる。
エントランスを降りたところで、背の高い影に出会った。
「……元親殿」
おう、と目を上げる。
「終わったのか、上」
「ああ」
終わりました、と唇だけで言って、歩き出す。
「……あいつもまた、何でああいうのに絡むのかねえ」
並んで歩くアスファルトにチアの声が響く。目の端でテーピングだらけの脚を見て、幸
村は少し首をうつむけた。細い影が夕日に伸びる。
「佐助は」
言い差して、止まる。
元親も一緒に黙った。
「佐助は」
ふられてしまったのだろうか、と思った。
元親が、出してやるよと言うので、二人でかごいっぱいにアイスばかりを買い込んだ。
「よし、戻るぜ」
元親が口笛を吹く。それに軽く笑って、生協を出た。
夕暮れは少し冷える。
「全部食べきれるでしょうか」
「まあ、解けっかもしんねえな」
白い髪が風に揺れる。
「今日何曜だっけ」
疲れた、とあくびまじりに伸びをしながら、元親が目を細める。
「木曜です」
「あー、木曜かー」
袋からアイスを取り出して、幸村にも差し出す。
「木曜かー」
週末はまだ遠いなあ、とアイスをくわえた元親が携帯を鳴らす。
久し振りに見た、と思ったら、何か包みを渡された。
「ゆべしと、ゆずジュース」
なんだ、ゆべしとは、と思ったが、口には出さなかった。
「なんかどういう時に食べたらいいのかいまいちわかんないんだけど、すごいおいしいよ」
ゆべし、とまるくて黒いものを指す。
「今食べちゃう?」
「……また何かの折に頂戴する」
「えー、何かって何の折なのさー」
「知らん」
眉を寄せると、怒られた、と元親を振り返る。
「ふられたのは佐助なのにさーあ、何で幸村」
怒ってんの、と言ったその口に、幸村は思わず拳をぶち込んだ。
殴ったのは幸村なのに、なぜか元親が怒られた。
「長曾我部」
元就の視線は冷たい。
「おまえは生きている価値もないな」
「何でだよ」
「人道にもとる」
「人道だーあ?」
大きな体でしゃがみ込んだまま、元就を見上げる。
「何でだよ」
「なぜもくそもあるか」
慶次と二人で目を逸らした。
「わからんのか」
「あー?」
片方だけの目が二人の上を行って、戻って、元親はくわえたアイスの棒を揺らす。
「なんかこいつらおかしいかあ?」
「最低だな」
虫けらにも向けないような冷たさで、元就の目が静かに光る。
幸村は、それを眺めて、この人はほんとうにきれいな顔をしているのだな、と場違
いにも思う。
「う」
思っているうちに、止まったはずの鼻血が垂れた。
「わわ、ティッシュ、ティッシュ」
「い、いい」
「ごめん、幸村ちょう出てる」
慶次が顔を覗き込む。
「うっとうしい」
とも言えずに、幸村はその肩を押し戻す。
「ほっとけって慶次。鼻折ったわけでもねえんだし、すぐ止まんだろ。ちゅーかおめえ
だろうが殴ったの」
「えー、でもー」
「んなもん、出る時ゃ出るんだよ。おまえが多少鼻紙つっこんだくらいで止まるかよ」
ほっとけ、と言う元親の頭に鉄槌が下った。
「だからおまえは目の前の殴り合いを放っておいたのか」
ばかもの、と正中線に六法の角が決まった。
「これが法を学ぶ者だとは、世も末だな」
血を拭え、とハンカチを投げられて、幸村は、しばし、法とは何だったか、と元親のう
めき声に考えた。
ボックスのドアは暗い。
「電気点けてねえのかよ」
元就を警戒したのか、離れたところから元親が覗き込む。
「そんなもの、点けてやればよいだけのこと」
ハンカチが少し血で熱くなる。
「……遅かったな」
照らされた部屋の中で、政宗がテーブルに頬杖をついている。
「猿飛は」
元就が聞くのに、部屋の端を指差した。
「寝てんぜ」
取り出した煙草に火を点ける。
「暴れるだけ暴れておねむだとよ」
電灯に薄い煙が透ける。
「あほらし」
起こすか、とあごを向ける。
「いらぬ」
なるほど、佐助は立て膝でうずくまった形のまま、寝息を立てている。政宗に被せられ
たジャケットだけ床にはねのけてあって、それだけなんとなく、むずがゆかった。
「……しようのない」
元就のため息は、佐助には少しだけやさしい。
それぞれてんでにアイスを取り合う。
解けてる解けてると慶次がうるさい。元親は元就の手の届かない場所に椅子を持って逃
げた。そのくせツナ缶の灰皿に手を伸ばして、政宗の煙草を取る。
「……吸いかけ取ってんじゃねえよ」
政宗がいやそうな顔で新しい煙草に火を点ける。
「まるまる一本はいらねえわ。おまえのタール多いからまずい」
「ならそれ吸ってさっさと死ね」
不機嫌に吐き出された煙にむせた。
「あっ、幸村死んじゃう」
「し、死なぬ……」
チョコレートと煙草の刺激が鼻先で混じる。
「政宗、おめえ真田いじめんじゃねえよ。てか鼻血出したくせに吸うなよ」
「いじめてねえよ」
なあ、と正面から煙を吹きかける。
辛い煙が目にしみて、政宗の顔が滲む。
元就が同じアイスばかり三本も食べた。慶次がくれたゆずジュースを政宗に飲まれた。
元親は眠たいのか、しきりとあくびをしている。幸村も思わずつられてあくびをする。
「慶次殿」
どうやら慶次は佐助を起こしたくてたまらないらしい。
目線で咎めると、えへっとごまかすように笑った。
「……慶次殿」
そういう顔ばかりかわいい。
「お」
ふと携帯が鳴った。
「おれだわ」
元就が眉をしかめる。
「外で話せ」
「うっせえな、メールだって」
「えー、誰から誰から? しかも今の着メロちょっとかわいくね?」
「別にいいだろ誰でもよ」
どうせ菜々だろ、と政宗が唇で笑う。
「おまえ着拒否されてたんじゃねえのかよバカ親」
「うっせえアホ宗」
背を向けて携帯をかばう。
「仲良きことは美しき哉、ってねー」
その背に向けて、よかったね、と慶次がのんきに笑う。
「よくねえよ、あの鬼女」
「でも顔かわいくて乳がでかけりゃ帳消しなんだろ、バカ」
「M、M、元親のM」
「Mじゃねえ!」
もそっ、と部屋の端で目の覚める気配がした。
「やー、元親さんMでしょ……」
起き抜けにそれだけ言って、佐助は腫れた目許を隠した。
誰もいなくなった部室で、二人並んで床に座っている。
タイルが冷たいような気持ちいいような、何となく、ソファに座る気にはなれなかった。
「……ごめんね」
佐助は幸村の隣で二つ目のプリンを食べている。
「……何がだ」
頭の上でカーテンが揺れている。
「なんとなく」
スプーンの裏を舐める、唇の端が青くなっている。
「旦那、なんで慶次殴ったの」
聞かれて、む、と眉を寄せた。
「……行き掛り上」
佐助が気配で笑う。
「……なにそれ」
なにそれ、ともう一度言って、佐助は熱い首筋でもたれかかった。
ぐす、と濡れた鼻が鳴く。
熱を出した佐助をアパートで寝かしている間、聞き慣れない着メロが鳴った。
夜にディスプレイが光る。
名前は見なかった。
寝すぎた、と思って目を覚ます。
出しっ放しのこたつの脚に絡まるようにして眠っていた。体が痛い。
「おはよう」
振り返ると、ふとんから赤毛が頭を出している。
「……起きていたのか」
「うん」
時計は十一時を指していた。
「もう二限は出れんな」
「うん」
嗄れた声で笑う。
寝癖を触りながら、少し悩む。
窓を開けたカーテンが揺れる。
晴れか、と思った。
今日は金曜。明日は週末だ。
どう言えばいいのかわからなくて、耳が赤くなる。
「佐助」
背中で、ふとんが動く。
「なに」
視線を感じて、口ごもる。
「その」
風が吹く。カーテンが揺れる。
もうじき夏。明日は週末。今日は晴れ。
「あれだ……」
ろくなことを言えずに、寝癖の髪を掻く。
「へへ」
ふとんから携帯を持った手を伸ばして、佐助が笑う。
「メール来ちゃった」
熱っぽい腕が幸村の首を抱く。
ディスプレイが白く光り、小さなストラップがうれしそうに跳ねる。
[fine]
20080510設置
おれさま平気
ありすさんの10000hitの時のリクエスト
大学BASARAでけんかしてる眼帯(黒)vs猿、眼帯(白)vsオクラ、おまけに真田と慶次