むかついたので、ふすまを一枚破ってやった。拳を突っ込んだまま、苛立ちに任せて引き抜く。
 薄く、甲が切れた。

「――――」

 蹴破ってやった。





 幸村は、夕膳の間に入ってくるなり、招かれた礼も言わずに、ことん、と膳の前に座った。あ
まり手足を動かさない。寒かったのか、手あぶりの炭を引き寄せる。
 袖口から太い傷が見えた。

「ふすまが破れてござった」

 やっと口を利いたかと思えば、幸村はそんなことを言った。

「どうも邪魔でな。ぶち抜いてやった」
 そう返せば、豪気でござるな、と淡々と言う。
 にこりともしない代わりに、振る舞いに卑屈さもない。そうするうちに給仕に酒を注がれ、幸
村は中身を確かめるでもなく、かぷりと飲んだ。
「――酒が好きか」
 呆れて言うと、幸村は無言で頷いた。もう一杯、注いでもらっている。
「馬鹿かおまえ」
 幸村は、政宗を見たまま、くっくとまた杯を空けた。そしてようやく、
「お招き頂戴致しまして有難うござる」
 と、頭を下げた。
「遅い」
 もう少し近ければ煙管で焼いてやるものを、と政宗は男に煙を吹きかけた。ついでに何か薬で
も仕掛けてやって、二三日苦しめてやろうか、と愚にもつかないことを考えた。苦しんでいる横
に見舞いにでも行ってやったら、悔しがって泣きでもするだろうか。
「すみませぬ」
 顔色を変えもしない幸村に、政宗は、つまらん、と横を向いた。

 上杉戦静観承知の旨は、文書にして幸村の手許へ渡っているはずだった。鶺鴒の花押さえ手に
入れば、幸村が奥州に留まる理由はない。ならばさっさと一散駆けに甲斐まで戻ればいいものを、
幸村は何をするでもなく、日暮れを迎えた。
 そしてもくもくと飯を食っている。
 仮にも招かれた席で、城主と差し向かいに座っておきながら、口も利かない。もくもくと飯を
食っている。音も立てずにさきさきと器を空けてゆくのは見事だったが、そういうことではない。
 政宗は箸を置いた。
「おまえ、上杉との戦を急ぐんじゃなかったのか」
 すると幸村は、漆の椀に口をつけたまま平然と、
「もう手の者走らせてござる」
 と言った。
 政宗は隻眼を眇める。
「素破か」
 しのびでござる、と幸村は相手も見ずに言う。
「忍を一匹連れておりましたゆえ、それに走らせました」
 日の落ちた室内には、灯明がつけてある。幸村は、それが揺れるのを見た。目の中に、小さく
炎が入る。
「正面から忍を連れてご領内になど、無礼は承知の上でござったが」
「手討ちにしてやろうかと思ったぜ」
「まあ、そんなことになったら逃げろとは言うておりました」

 ――殺そうかと思った。

 戦など、いくらしてやったって、いいのだ。
 侮りの代償を見せてやる。
 独眼竜の許に、こんな赤犬の一匹。首を戻してやることもない。
 城下に晒し殺してやったっていいのだ。それでたとえ武田が虎の子を辱めたと喚いて攻め寄せた
としても、それが口先だけだと、誰もが知っている。
 こいつは、惜しむほど、大事にされていない。
 そんな戦に伊達が負けるわけがない。

 縊り殺してやりたいと、政宗はゆっくり自分の欲望を噛んだ。
 殺したい。

 相変わらず幸村は表情のない顔で物を食っている。
 それが、ふうっと顔を上げて、口を利いた。
「それがし、別に、特別の者ではござらぬ」
 そして、気になっているのか、貝の刺身をつつくと、ちらりと政宗の膳を見、それが食われてあ
るのを確かめて、やはり食い物か、と唸った。



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泥より黄金光り、
20070625

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