「おい」

 ふと思い立って、政宗は自分の傅役を呼んだ。は、とすぐに目を上げて返事をする。政宗は煮しめ
を摘まんで口に放り込んだ。小十郎が眉を吊り上げる。政宗は知らんふりをした。
「政宗様」
「うるさい小十郎」
 朝から低い男の声で呻かれて何がうれしいのか。黙れ。
 睨むと、小十郎も見返してくる。そのふてぶてしい顔。
 つくづく、こいつが傅役でよかった、と政宗は思う。もしこいつが他人だったなら、とうの昔に流血沙
汰だ。顔見た瞬間にメンチ切ってんぜ、と政宗は湯漬けを食った。



 どのみち、今年の冬は戦をしない。
 雪の間に、打てるだけの刀を打って、鋳られるだけの弾を鋳る。遊びたい者は精々遊んでガキ仕込
め、と政宗が言ったので、広間は歓声と怒号で溢れ返った。娘命で知られる鬼庭が、凄まじい顔で政
宗を睨んでいた。無視してやった。
 上杉も武田も邪魔だ。
 それが互いに押さえ合ってくれるのなら、それに越したことはない。刀を揃え、弾を込め、次の戦
には、どうあっても生きて帰る気になった男ばかりを連れてゆける。鬼庭にも孫の二、三作ってやれ
るかもしれない。それに、鬼庭のあの顔は、ちょっとおもしろかった。

 そうして伊達は続いてゆく。



「小十郎、おまえ、あいつの紋見たか」
 小さな音で、炭が弾ける。
「六文銭でしたな」
 小十郎は同じ部屋で飯を食わない。障子際に座っている。
「真田は結びの雁金だろうがよ。何で六文銭なんだ?」
 茶、と手を出すと、湯飲みがわざわざ膳に置かれた。こういうところがむかつく。
「ご存じねえですか」
 主人の眼光を平然と受け流し、小十郎は政宗の手許を見た。
「六文銭は真田の戦紋です」
「ああ? 馬鹿か。何で同盟しに来たのが戦紋つけてのこのこ来てんだよ」
 茶が冷たい。口もつけずに、畳に置く。小十郎がそれを横目で見て、ため息をついた。
「んだコラ」
「何も言っておりません」
「しめんぞ小十郎」
「まだ無理です」
「てめ」
「政宗様」
 制止の代わりに主の名を呼ぶ。何となく、気圧された。
「――んだよ」
 唇を尖らせる。
 子供時分、小十郎に直せ直せと言われた癖だ。癖はわかっている時には出ない。けれども、いざと
言う時に気付かぬうちに出るのだと、口を酸っぱくして言った。こいつの癖は小言だな、とおかしかっ
た。小十郎の癖は未だに直らない。

「真田幸村は分家されております」

「――分家?」
 政宗は、片目を大きく開けた。ええ、と小十郎が相変わらずの仏頂面で首肯する。
「真田の本家本城は兄が相続しておりますから」
「分家ってなァ何だそりゃ――」
「分家は分家ですよ」
 いっそうるさいと言いたげに小十郎は主の言葉を遮った。
「政宗様はご存じねえかもしれませんが、真田の家は、裏切るんです」
「ハア?」
 んだそりゃ、と政宗は膝を立てた。
「おまえ評定の時も何も言わなかったじゃねえか。裏切るってのは物騒な話だぜ、おい」
「別に今更申し上げたところでどうなる話でもねえですよ。別に直に割食ったわけでもないこっちま
で知ってんですから、信州甲斐じゃあ、有名どころか。まあ、裏切りっても、向こうの恨みだのやっか
みだのってのもあるんでしょうが」
 手あぶりの炭が、うっすらと火を上げる。音もなく頭をもたげて、真っ直ぐに燃える。小十郎もま
た、その火を見た。火は静かに燃えている。
「――外様だからと」
 これが、そんな声で話すのは、めずらしい。政宗は黙って頬杖をついた。
「真田が武田の傘下に入ったのは先々代の一徳斎幸隆からです」
「ああ」
 知っている。真田幸隆。鬼弾正の名を欲しい侭にした男ではないか。
「真田はそんなにでけえ家でもねえのに、昔っから不敗と言われるほど、戦だけは馬鹿強かった。それ
を先代の武田が、相手の嫌がるのを無理に傘下に引き込んでやったんです。それァまあよくある話
なんですが」
 一旦言葉を切ったのを、促す。
「武田は、真田に援軍を出さなかったそうです」
 一度も、と吐き捨てるように言う。
「どれだけの精鋭でも、死地に援軍もなしじゃあ、どうにもならねえ。武田は、もはやこれまで、と退
転した弾正殿を、六文銭の覚悟がそれかと、衆人環視の陣中で罵ったとか」



 ああ、死なす気であったか、と思っただろう。
 人界に引き摺り下ろした山虎を、泥土の中で殺す気だったのだ。
 ――ご覧に入れて見せましょう、と、幸隆は笑った。
 その壮烈に、感じなかった者はいない。
 そうして虎は伏せて待つ。



「眉唾だとは思いますが、信玄公が先代を討たれた時、その首刎ねたのは弾正だとか」
 小十郎は、ふと首筋を撫でた。障子越しの日が射している。
「どうにも真田の虎は律儀なようで」
 結局、弾正幸隆は、主が信玄に代わった最初の戦で、震うような戦振りの果てに、泥土に消えた。
 三人いた息子のうち、信綱と昌輝も父を追った。
 父、兄、戦死の報に、昌幸は猛り狂って戦場へ駆け込もうとした。信玄は、離せ、殺すぞと喚き狂う
昌幸を抑えようとして、それこそ戦場より激しい殴り合いになったと言う。
 残った血の一筋を滴らせ、昌幸は信玄と共に二虎と呼ばれるまでになった。
 そして、それもまた、この世にはない。

「虎の子ねえ……」
 小十郎は答えなかった。
 まだ奥州の霜は浅い。日が照ればすぐにとけてしまう。
「冷えますな」
「うそつけ」
 その横顔を、にくたらしい男だ、と思う。
 だが、竜の右目にはちょうどいい。
「煙草盆」
 言うだけで、きっちりと葉の詰まったものを寄越してくる。
 にくたらしい、と舌打ちしながら、火を入れて、煙を吐く。



「連れて来い」



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泥より黄金光り、
20070630

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