石垣を、登れと、そう言われた。
「あれの向こうに人がいるから」
それを殺して来いと、鎧姿の武人が言った。
手鉤と、強縄、手振りのくないに、忍の直刀、それだけ持って、さあ、と男が指差した。
「行け」
青い蔦が石組みを覆う。ひとつひとつの石が大きい。角のはつられていない岩がところどこ
ろに突き出して、佐助は、ああ、あれを避けて行かねばならぬのか、と思った。
きっと死ぬ。
今だってこんなに矢が飛んで来ているじゃないか。土に刺さる。さっきだって強弓が一矢、
大柄の兜の隙を貫いた。だからこんなに陣地も退げたのに。
「行け」
縄を張って来い、と男は言う。
「ーーは」
誰かが頭を下げた。
それでみんな順々に土に額をつける。
戻って来いとは言われなかった。
きっと死ぬ。
そんなことわかってた。みんないつか死ぬ。ただ、自分たちはあんまり長くは生きないだろ
うなと、人より早く死ぬと、そんなこと、ずっと知っていた。
いつも寒かったし、怪我が痛くて、薬もいっぱい飲んだ。ものが食いたくて堪らなかったし、
肥れるなら肥りたかった。きれいなものも欲しかったし、いいところにも住んでみたかった。
自分だけ背が伸びないのもいやだったし、髪だって目だって、みんなと一緒がよかった。
長く生きたかった。
「行け」
あの石垣の向こうには人がいる。
「殺して来い」
揃いの装束を着て、戦忍が立ち上がる。
武器だけ持った。
隠していたあめ玉も、薬も、全部取られた。手甲も胴当も要らぬだろうと、剥がされた。
捨てられるんだなあ、と思った。
おれたちが、捨てられる。
「行け」
体中、武器だけ持って、帷子も額当も脱がされた。
石垣の向こうからは、甘い灰汁の匂いがする。
ちらちらと鋼の鳴る音がして、膝が撓む。ぬるんだ泥を踏んで臑がしなり、鋼が鳴る。土に
埋もれた鏃が厚履きの底を刺す。泥の跳ねる音が早くなる。弓矢の落ちる音が、首の横で聞こ
えた。打たれたら楽なのに。思いながら鉤爪が石に張った苔を裂く。
二つ、三つ、と打ち込む杭に縄を手繰る。
どっと音を立てて誰かの血潮を被った。打たれたか、斬られたか、まだぬくい、と輪を通し
た縄を締める。ささくれた棕櫚の先から、赤が絞れた。
二段、三段と跳んで上がって、石の隙間に残った指を見た。
石垣にはぜる弓矢が落ちる。
これは。
石を掴んだ形のまま、右の指が三本、そこにある。
佐助が掴もうとした蔦の陰、白く残っていた。
落ちる時、目の裏に刻んだ。
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日照りの沼、
20080830